はい哲学科研究室です

永井玲衣の考えることをつづけるためのノート

シーサーには怖い顔をしてほしい


水曜日

店員が私語している喫茶店が好きだ。近所のさびれた喫茶店は、店員たちがみな世間話をしたり、でかい声で指示出しをしたりしていてとてもいい。

ひまな時は、みんなぼんやり外を見ている。わたしもつられて外を見る。たまに街を歩くひとがそれに気がついて、ぎょっとしている。

10時くらいに喫茶店に着いて、お腹はすいたがモーニングを食べる気がおきず「ビーフカレーください」と注文したら「え!?うそ!?」と言われた。

フレンドリーさの現れとか、客との軽いコミュニケーションのつもりではない、純粋なリアクションだった。

そのまま店員さんは厨房に行き「店長!なんか、ビーフカレーだって!!」と叫んでいた。


いしわたり淳治さんの『言葉にできない想いは本当にあるのか』を読む。



金曜日

いちばん憂鬱な匂いって何だろうとずっと考えていた。
そういえば、寺山修司がエッセイで「味噌汁くさい」という表現をしていた。

味噌汁、あたたかく家庭的なにおいの代表だし美味しいけど、異様な閉塞感も心によぎる。味噌汁。メランコリックなにおい。

 


土曜日

電車に乗る。混み合う車内とマスクが息苦しくて、倒れそうになる。頭の中で湯を沸かして、そこに水をいれ、ちょうどいい温度にする様子を想像して気を紛らわせる。

あーーっ、熱い、熱いよこれは、しかも吹きこぼれそうだ、危険、あぶないよ、ここに水をいれよう、ああ、ほらちょうどよくなった、これでちょうどいいね、よかったなあ。

こんなことを考えていれば、すぐに目当ての駅に着いてくれる。

 

バーンスタインの『暴力』を読む。読み終わらない。



月曜日

すごい強風の中を、でかいパイナップルを生で持って歩くおじさんとすれちがう。熱々のコーヒーを持つように、上と下を丁寧に支えている。

よく見ると、小指と薬指でさらに食パンを2袋はさみこんでいた。もはや手品師。

といいつつ、わたしもマイバッグを忘れて白菜をそのまま手に持って帰ったことがある。大抵のことは気にしなくて大丈夫なのだ。

荒井裕樹さんの『車椅子の横に立つ人』とジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読む。

 


水曜日

コンビニに行くと、コピー機の前で若い女性の店員さんと、女性のお客さんが深刻な顔をして何かを話している。

操作方法がわからないのかな、と思いながら栄養ドリンクを選んでいると、店員さんの「搾取されている可能性があります」という声が聞こえてきてどきりとする。

お客さんは「なるほど」と頷いている。気になってしばらくその場に立っていると、店員さんが「はい、ありえる、があります」と言う。


「ありえるがある」っていいな。使いたい。結局何の話だったんだろう。

藤原辰史さんの『戦争と農業』を読む。藤原さんの本はおもしろいなあ。

 

木曜日

しんどい打ち合わせをする。なめられてるな〜と思いながら話すのはつらい。

頭の中でずっとMAGIC!の『Rude』を流す。

www.youtube.com

 

Why you gotta be so rude?
Don't you know I'm human, too?

なんでそんなに無礼なんですか?

わたしも人間だってわかってくれてますか?


レゲエ調で楽しい曲。みなさんもぜひ無礼な態度を取られたらこの曲を流しましょう。

燃え殻さんの『すべて忘れてしまうから』とクァク・ジョンナンの『日本手話とろう教育』を読む。

 


金曜日

いつもお世話になっているCLPのSさんから「このあとお電話してもよろしいでしょうか?」というLINEが届く。丁寧すぎ。

以前、何かの用で電話したら、喧騒の中忙しそうな雰囲気のSさんが出て「すみません、ちょっと今電話に出れなくて!」と言われた。電話に出れないことを、電話に出て伝えてくれる。出れないときは無視してほしい。いい人すぎる。


学生におすすめの哲学書ありますか?と聞かれる。「アルテイシアさんって知ってる?『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』っていういい本があって〜」とペラペラ喋りながら、アルテイシアさんの本は哲学書じゃないことに気づく。

しょうがないので「あとはやっぱりサルトルだね」と言ってごまかす。



日曜日

散歩中、きれいな花だと近づいたらジョアが差し込まれていた。

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ポイ捨てという野蛮かつ大胆な行為にもかかわらず、微妙に花と同じような色合いだからいいだろう、というせせこましさが垣間見える。


散歩しすぎて迷子になる。


火曜日

newQメンバーと仕事。代表の瀬尾さんはいつも、メンバーの変化に気づき「髪切ったんですね」と言ってくれるのだが、そのあとに必ずあばば、となっている。確かに、相手の髪型の感想を言うのはむずかしい。

「素敵ですね」も何か変だし、「さっぱりしましたね」というのも「これまでもっさりしてたな」みたいな感じになってしまう。

だからか、瀬尾さんはいつも「はい切りました」と誰かが言うと、数秒沈黙したあと「切ったんですね〜」と言っている。確認作業。


知人におすすめされたダイアン・J・グッドマンの『真のダイバーシティをめざして』を読む。

 


水曜日

シーサーには怖い顔をしていてほしいな、とふと思う。災難を家に入れない、みたいなことだったらなおさら、常に威嚇していてほしい。でもそれってエゴだよな、と悩む。

調べてみると、幸福を招き入れるという意味もあるようだった。それは確かに笑顔の方がいいだろう。じゃあ笑顔と怖い顔のシーサーを二つ置いておけばいいのだろうか。


ああ綺麗な海とか見たいな。入らなくてもいい。てか、海に入ったことがない。わたしはひとより、やったことがないことが多い気がする。キャンプとかもしたことない。あと自転車に乗れない。


数年前、横浜の小学校に哲学の授業をしに行った帰り、大学院の先生が「みんなに海を見せたいから、少し遠回りして帰りましょう」って言ってくれたことがあった。うれしかったな。「ここです!」と見せてくれたのは、ただ水が溜まっているだけの場所だったけど。

「先生、これ海じゃないです」ってみんな言ってた。

ああいう先生になりたいや。

 


木曜日

D2021で制作した映像にyoutubeの字幕をひたすら付ける。いろいろな不幸が重なって、数時間かけてつけた字幕が無になる。だが、時間をかけた仕事を自分で無にしてしまうことには慣れているので、落ち着いて現実を受け止める。

仕事先でも、ちょっとした隙間時間でもpcをひらいて、さらにちまちま作業する。何度も消えたりずれたりするので、また修正する。

ついに数日かけた字幕が出来上がったと思ったら、なぜかまた消えてしまった。さすがに絶望する。特技は「運命を受容するスピードの速さ」のはずだったのに。

夜は入管法改悪反対のデモに行く。友だちと合流して、いろいろなひとのスピーチを黙って聞く。

帰りの日比谷線で、友だちと「手のひら」っていいよね、という話をする。「動物のお腹みたいですよね」と友だちがささやくように話す。綺麗な声。


別れたあと、Moment joonさんの「TENO HIRA」を聴いて帰る。

 

水曜日

2回くらい断ったのに「いえ、どうぞどうぞ」とすすめられた後に、じゃあと食べると「あっ、このひとすごいこれ食べたかったんだな」って思われる気がする。

別にそういうことがあったわけじゃない。思考実験です。


夜はみんなでフーコーの研究会。ツチヤさんが『監獄の誕生』を読んで「いい話だな〜!」と言う。別にいい話ではない。ツチヤさんが「哲学者は、考えさせられる話をいい話と言うんです」と弁明する。めっちゃ分かる。わたしもアリストテレス読んでて言った。

あと哲学(研究)者は「わかりにくい」ことに異常に耐性がある。難しい哲学書も涼しい顔をして読んでいるが、別にわかっているわけではない。わかりにくさに慣れているだけだ。


いろいろなところで爆推しされている小島庸平さんの『サラ金の歴史』を読む。歴史学ってすごい。おもしろい学問がいっぱいあるなあ。

 

 
何となく続いている「ただ生きているだけ日記」はnoteにも書いていましたが、こちらにうつしました。よかったらどうぞ。

nagairei.hateblo.jp

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ばかものよとかうざいんだけど


水曜日

メールしすぎて多少の誤変換を気にしなくなってきた。「ありがとうございますう。」とか。「よろしくお願い遺体します」とか。色気と恐怖。

わたしにとってはたくさんのメールのうちの一通だが、相手にとっては唯一の一通なので、開き直っている場合ではない。

誤変換といえば大昔、大学の先生に「わかりました。永井玲衣」と送るところを「わかりました。永井玲殺されるぞ」と書いて送信してしまったことがある。「玲衣」の「衣」を「ころも」と打ったら「殺されるぞ」がガラケーの予測変換で出てしまい、そのまま焦って送ってしまったのだ。

 

怖かっただろうな、先生。

 

あと同期から、怖い先生に謝罪のメールを送るから文面を見て欲しいと言われ、チェックしてあげたことがあった。いいんじゃない、送れば、と返信してしばらくして、彼が大慌てで「やばい」と返してきた。

謝罪メールの末尾に「これでええ?」とわたし向けに書いたメッセージを、そのまま削除せず怖い先生に送ったらしい。

この度は大変申し訳ありませんでした。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。これでええ?


喧嘩売ってる。

 

金曜日

気分転換に散歩でもするかな、と家を出て、気がついたら4時間半ほど経っていた。散歩はいつも念入りにしてしまう。誰かがいないとすぐに常軌を逸するので、本当に他者って必要だなと思う。

小手川さんの『現実を解きほぐすための哲学』を読む。いい本。

 

 

土曜日

知り合いの先生が、メールで「小生のパワーポイント」と書いていて、しばらく笑ってしまった。いにしえとテクノロジーが奇妙な仕方で並列されていて、詩っぽい。「ごPDF化」とか「おデバイス」も好き。そういえば、奇妙な言葉への愛着について、以前連載にも書いた。


ブラタモリを見ていたら、温厚そうな教授がタモリに「野鳥も海を渡ってこられるんです」と説明していた。野鳥に敬語。

 

 

日曜日

子どもとの哲学は、子どものために哲学をするのか、哲学のために子どもとするのか、どちらなのかについて考えている。教育の文脈で考えるならばそれはやっぱり前者になるんだが、哲学のために子どもと哲学をするんだ、という主張もなかなか面白い。

あと、哲学対話や哲学カフェで一生懸命考えたことについて「それカントも同じこと言ってるんだよ」と誰かに言ってもらって、はたして人は嬉しいのか問題。


嬉しいときもあればむかつくときもあるし、知らんがなって思うときもあるな。


でもやっぱり、カントと同じだって言われるより、カントになんて言ってやろうかね、って一緒に考えてもらう方が嬉しいかも。いや、カントと一緒にも考えたい。無理だけど。

修論書いてるとき『道徳形而上学の基礎づけ』読みながら、カントにどうしても聞きたいことありすぎて、テクストに向かって「ねえ…何か言ってよ…」ってうつぶせたことがあった。乙女か。


修論はひとを乙女にしてしまうので気をつけてください。

 

 

月曜日

スタバのwifi、突然予告なくインターネットを切断したかと思うと、次の瞬間に小窓で「success.」という文字だけを出してくる。ビンタした後にすぐに抱きしめてくるひとみたい。


カフェインが苦手なくせにコーヒーが好きなので、デカフェをよく頼むのだが、店員さんがすごく嫌がっているのを感じる。「お時間いただきますがよろしいですか?」と聞いてくれる人もいるが、人によっては「5分ほどかかりますが」になり「10分以上かかりますが」に、そして最近ではついに「大変お時間かかってしまいます」と断言された。


それでもなお、デカフェを下さい」と言う勇気はなく、普通のコーヒーを頼んでしまった。胃が痛い。

『キレイならいいのか』の書評を書く。

 

 

日曜日

D2021という得体の知れないフェスをやるので、Choose Life Projectでその予告とイベントとして「ごみと資本主義」をテーマに対話した。司会だったので、wifiが死んだらどうしようということばかり考えていた。

 

『分解の哲学』を読み直す。面白い。

 

 

水曜日

はじめてお仕事をするお相手に「noteの日記を読みました」と言われて気まずい。読むなら連載や、メディア記事にしてほしい。あっちが本当のわたしです。


生徒たちが「実は先生の記事読んでます」と告白してくれるのもうれしいが恥ずかしい。「隣のおじさんのザーサイを食べる話」が人気。何も知らない生徒が横から何それ〜とか言ってるのも恥ずかしい。人前では真面目な記事を褒めて欲しい。わがまま。


そんなことより、宇宙工学研究者の久保勇貴さんの連載の新作だ。本当に本当に本当に本当に本当に、いい。何度も読んで、何度も泣いている。特に生徒には、わたしの記事よりもこっちを読んでほしい。


衝撃を受けた有名な作品は数多くあるが、身近な表現者で、作品をひと目みた瞬間にあっこれヤバいなとわかって、そのまま読むのを止められなくなったひとが二人いる。そのうちの一人は久保さんで、もう一人は山戸結希さんだった。彼女は、はじめて入った哲学研究会にいた先輩で、当時からバリバリにヤバかった。映画を撮るから協力して欲しいということで、ほんの少しだけエキストラで出た。もらった台本は、文字なのにすべてが生きているみたいに見えて、異様で、凄まじくて、圧倒された。


彼女はそれからあっという間に手の届かないものすごい表現者になった。久保さんもすぐにそうなるだろう。

 

すごいものをすごいと言うことが好きだ。好きなものはみんなに読んでほしい。

 

 

土曜日

うちの大学の図書館の宣伝ポスター。カトリックジョーク。

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zoomで哲学対話をしていたら、ファシリテーターをしていたひと(先輩)がいきなり固まってしまった。「アパートが停電になった」というメッセージが来る。そんな奇跡あるのか。

 

論文をいくつかと、和山やまを読む。

 

 

金曜日

ある女子校に授業をしに行く。問いについて真剣に考えてくれる。それだけで本当にうれしい。「先生はどう思いますか?」と聞いてくれるのもうれしい。わたしは先生に自分の意見を伝えるのに精一杯で、先生に考えを求めたことなんてなかった。他者の声を聞こうとするその姿勢がうつくしい。

ふと、友だちが「どっちがトイレ早いか競争しようよ!」と休み時間にいきなり誘ってきたことを思い出す。小学生じゃなくて普通に高3とかだった。なんでだよとか文句言いながら勝った気がする。


女子校のトイレは、香水くさい女子たちが集団で鏡の前にたむろし、リップをぬりぬりして誰かの悪口を言っている、などという情景は男性の妄想である。現実は、どっちがトイレが早いか競争してます。

 

 

土曜日

生徒にリアペのコメントを返す。


高3のとき、学年だよりか何かで、終業式に先生たちが「卒業に向けて贈る言葉」みたいなのを書いてくれたことがあった。一人につき大きめの枠が与えられていて、いろんな先生たちの長文のメッセージが手書きで印刷されている。


配布されたプリントを席で読んでいると、国語の先生が茨木のり子の「自分の感受性くらい」という詩を引用しているのが目に入った。国語の先生はあまり語らずにいろいろな意味を込めたのだろう。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という有名な最後のフレーズだけが、枠の中いっぱいに書かれている。


隣に座っていた友だちがそれを見て「ばかものよとかうざいんだけど」と言っていた。


たまに思い出して笑ってしまう。そりゃ「ばかものよ」とかいきなり言われたら腹立つよな。

伝わらないって、悲劇なんだけど面白い。友だちにとってはその先生は一生、突然終業式に罵倒してきた変な人なのだ。

 

 

火曜日

「突然終業式」という文字、たわしみたいにゴワゴワしている。触ったらじょりじょりってなりそう。

「美」が虫にみえるのことをユミちゃんとミナコの前で言ってはだめね


穂村弘さんの短歌を思い出す。本当にすごいなこのひとは。これを読んでから、虫にしか見えなくなった。

きがくるうまえにからだをつかってね かよっていたよあてねふらんせ


この短歌が好きだと穂村さんに言ったら、ああこれは実際にこう言ったひとがいたんだよ、と言われてこわかった。

 

そういえば、雑誌の企画や記事、イベントの企画ごとに、毎回詩人を提案しているけど通ったことがない。「詩人はどうですか」と言うたびに「は?」っていう雰囲気になる。哲学研究者がこの会議にしれっと参加できるなら、詩人もええやん。だめですか。