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はい哲学科研究室です

哲学科院生ながーいが哲学と文学と哲学対話について書きます。時に別の院生が書くことがあります。

世界、問題集かよ

ながーいれい


笑うことが好きだ。

だからか基本的にいつも笑っている。やさしく微笑んでいる訳ではない。
爆笑しているか、ニヤニヤしているのである。

日常に無数にある笑えるポイントを蓄積し、帰りの電車などで思い出しひとり楽しむのが好きだ。または、友人たちにその内容をラインして、ふたりで笑い転げるのが好きだ。

「この間、怖い顔をしながらすごいスピードで歩いていたね」

よく言われる言葉である。
だが怖い顔をしているのは、笑いをこらえているからである。

むかし、笑いをこらえることに必死になりすぎて、どっかのマンションに飾られているでかい門松に刺さったことがあった。

鋭利な松に体中を貫かれ、ひんやりと冷えたすべすべの竹に頬を押しつけながら、なぜこんなものを人間は大事そうに飾るのだろう、と考える。
世界とは、人間とは、なんて訳がわからないんだ、と門松の中でニタニタする。

 

 

ヤスパースという哲学者がいる。
彼は哲学することの根源は、驚異懐疑喪失の意識である*1と言った。
「驚異」から問いと認識が生まれ、認識されたものへの「懐疑」から批判的吟味と明晰さが生じ、自己「喪失」の意識から自身に対する問いが生まれる、とのこと。
高校生風に言ったら「は?(驚異)マジで?(懐疑)つらみ(喪失)」である。


まちで、学校で、哲学対話をはじめるとき「どんなことを考えたい?」「何をテーマにしたい?」と問い出しをすることがある。

哲学対話に慣れてきた小学生たちに聞いてみると「なんで色があるの?」「過去の人物はほんとうに存在したの?」と言ってくれたり「すぎたりしてぜったいにとまることのないさらに長く感じていたいふしぎなふしぎな時間とはなにか!!」なんて大きな字で書き殴ってくれたりして、わくわくしてしまう。

だが一方で、かなり行き詰まる時もある。

そりゃそうだ。「どんなこと考えたい?」なんて見ず知らずの女に聞かれるなんて、深夜の道ばたで「わたし、キレイ?」と話しかけられるようなものだ。

恐ろしいというよりもはや、思考停止である。え?なんだこいつ?である。


小学校のPTAの会で哲学対話をやったとき、まさに、なんだこいつ?状態になったことがあった。お母さんたちは「なにを考えましょうか〜」とヘラヘラしているわたしを前にして、呆然としている。何を考えたらいいのか考えなければいけないと考えている。


そこで「何かお子さんのことで悩んでいること、怒っていることありますか」など質問を変えてみる。するとお母さんたちはものすごい熱量でしゃべり出す。夕飯があるんだからオヤツを食べちゃだめっていうのに言うこと聞かないんです。あーーっ、うちの子も約束守れないの。やだあ、うちの子もなの、この間もね・・・

固い卵がパカッと割れて、テツガクちゃんの誕生である。
わたしはお母さんたちの切実で実存的な問いを聞いて、おお哲学が生まれた瞬間を見ることができた!と嬉しくなった。

ちなみにその日のテーマは「なぜ約束は守らないといけないのか?」になった。楽しかった。



ブラジルの哲学対話研究者であるKohanは自身の著作*2で、ヤスパースにおける哲学の根源を紹介したあと、4つめに「dissatisfaction(不満)」を付け加えようぜ!と提案している。面白い視点である。

そんな中、先輩の面白い記事が目に飛び込んできた。

 

以前、子どもたちの学校や親への「不満」を挙げてもらうところから始めて子ども哲学をすることについて、「不満」と「問い」は全く違うものだ!という意見を聞いたことがある。

もっともな意見であるように思う。

確かに、「なぜ?」「どうして?」という問いの形は同じでも、怒りや不満からくるルサンチマンと、知的な好奇心からくる探究心は違う。

でも、とも思う。

すぐに答えは出ないけど、でも切実に答えを求めてしまうようなそんな問いの求心力は、不満や怒りから出てくるなぜ?どうして?にもあるはずだ。そこに人が本気で考え始める種はやっぱりあるのではないか。*3

 

いいね!ボタンだけじゃなくて、だよね!ボタンも連打したい。
とある高校で「なんで校則を守らなくちゃいけないの?」というテーマが出された時も、同じようなことを考えた。不満、というとネガティブだけど、頭から離れないそのモヤモヤって、それだけ切実に、いま!まさにここで!とりつかれている「問い」なんじゃないの、と思う。

 

 

10代のころ、わたしは世界のめちゃくちゃさにすっかり打ちのめされた。
他者は怪物のようだし、社会は理不尽に溢れ、この世は理解できないことばかりである。そしてなんか知らんけど気がついたらここに「存在」していて、だけどいつかわたしは死ぬらしい。

わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか?ここはどこなのか?わたしは誰なのか?

世界、問題集かよ。


哲学科の後輩、今井のつぶやきだ。

世界はめちゃくちゃな問題集である。
誰も小冊子「解答」を持っていない。
中学のときみたいに、解答をこっそりノートに写して提出することはできない。
どうにかして解くしか道はない。孤独でしんどくてさみしい。

 

母によると、4歳のとき、突然「わたしはママじゃない」と言って泣き出した時期があったそうだ。

教育学的に言えば自我の芽生えとか、自意識のうんたらとかそういうやつなんだろうが、おぼろげな記憶をたどると、これは世界への「驚異」というよりは「不満」に近かった気がする。

わたしは、今後永久にわたしのままである、ということへの激しい怒りである。
なんつう世界だ!と約三ヶ月間泣き続けた。

まさにこれはめちゃくちゃな世界への最初の「不満」であり「問い」であった。
だがどうしても「不満」と言うとネガティブなイメージがついてしまう。
「不平」なんて訳すれば、ワガママな印象さえ与える。
「悩み」?「不服」?「不満足」?なんて表現すればいいんだろう。


 

最初の話に戻ろう。

わたしは笑うことが好きだ。だからお笑いが好きだ。
漫才、コント、落語、気に入った笑いをカセットやMDに録音して暗記するまで聞き倒す。

今日もまた録り溜めていたお笑いを見てしまった。
ダウンタウンの浜田が松本を叩いて「なんでやねん!」と言う。
見ながら、あれ?と思う。何かを思い出しそう、と直感する。


大好きなサンドウィッチマンの漫才も見る。
伊達が犬を散歩させているところに、富澤が話しかけてくるという設定だ。

富澤 いやあかわいい犬だなあ、ちょっと顔似てません?
伊達 ああ、オレにですか?
富澤 いや、俺に。
伊達 なんで知らないオッサンに似るんだよ!

それを受けて富澤は「ああ、飼い主と主人は似るって言いますもんね」と微笑む。伊達は「いやそれ一緒のことだよ!」とツッコむ。

ゲラゲラ笑いながら、富澤を見て「あっこれ世界だ」と思った。


世界は理不尽で、不条理で、めちゃくちゃで、暴力的で、意味不明である。
だが言い方を変えれば、世界はボケ続けているとも言える。

だって、せっかく生まれたけどわたしたちは絶対死にます、なんてマジで「なんでやねん」としか言えないレベルのボケである。

わたしは一生わたしのままで、あなたは永遠にあなた。
この現実に対して、4歳のわたしはきっと、なんでだよ!と全身全霊でツッコミをしたのだ。

ここは地球というところです。地球は宇宙というところにあります。宇宙はよく分かっていませんが、めっちゃデカいです。なんでやねん。

あるものはあり、ないものはないです。なんでやねん。

意識してではない。自然と内からわき出る「なんでやねん」である。
そして「なんでやねん!」から哲学はおそらく始まる。

ナイツの漫才も見てみよう。

  ナイツでございます。塙です、よろしくお願いします。
土屋 自己紹介、これ大事ですからね。
  よろしくお願いします。で、ちょっといきなり汚い話になってしまうんですけれども・・・・・・・・・こちらが、土屋です。
土屋 どういうことだよ!


どういうことだよ。
さっきの「なんでやねん」が理由を問うものであれば、「どういうことだよ」は意味を問うものである。

なんでやねん。どういうことだよ。ツッコミの王道の言葉ながら、実は哲学対話の際に頻出する質問でもある。

 

要はこれは、永遠にボケ続ける世界に対するツッコミなのである。
そうなれば、哲学対話をする人たちや哲学者たちは、皆ツッコミ芸人なのかもしれない。


門松はボケである。
みんな冷静になってもう一度門松を見つめ直して欲しい。
できれば「門松 イラスト」でググるのがおすすめである。
そして、正月に飾るものとか、竹とか、おめでたさとか、そういった意味をすべてはぎ取って、ただ、ありのままを、じっくりと見つめてほしい。

 

 

なんやねん。

 

頭の中で、画面を埋め尽くす奇妙で意味不明な物体を前にしたフットボールアワーの後藤が、中川家の礼二が、ブラマヨの小杉がツッコんでいる。
新種のポケモンみたいな姿をした門松は素知らぬ顔で澄ましている。


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ツッコミは「不満」の言い換えではないかもしれない。
「驚異」も「懐疑」も「喪失」も全て入っているような気もする。
だけど同時に、「ツッコミ」という新しいジャンルでもあるようにも思える。
じゃあせっかくだから5つ目として追加しておくべきか。

「総括して申しますと、「哲学すること」の根源は、驚異・懐疑・喪失・不満・ツッコミの意識に存しているのであります」。


バカみたいになってしまった。
ヤスパースがボケになってどうする。

 

*1:ヤスパース『哲学入門』

*2:Walter Omar Kohan, Philosophy and childhood : critical perspectives and affirmative practices,Basingstoke : Palgrave Macmillan, 2014, p.7.

*3:あなたの不満はなんですか?から哲学は始まるのか - 「こどもの哲学」とそれにまつわるものたちでテキストを書こう